《人・言葉》干天の慈雨

こんにちは!

なんだか最近暖かかったり、急に寒くなったり、天候がコロコロ変わりますね。

吹雪でホワイトアウトしたかとおもえば、数分後に青空が見えたりと、空模様と人の心は似ているようです。


以前、私はHSPだと職場の人に話したら「何それ?障害者?」と言われたという話をした事がありますが、その頃はまだHSPという言葉が今のように広がっていない頃でした。

それには後日談がありまして、何日か経った頃、その人から突然アスペルガー症候群についてお話をされたのです。
その人はHSPという言葉を知らない代わりに、アスペルガー症候群という言葉を引っ張り出してきて私に当てはめました。
これでしょあなたは、と。



アスペルガー症候群ってなに?

早速検索してみたところ、
『発達障がいの一つで、社会性・コミュニケーション・想像力・共感性・イメージすることの障がい、こだわりの強さ、感覚の過敏などを特徴とする、自閉症スペクトラム障がいのうち、知能や言語の遅れがないものをいいます。』という説明がありました。

なるほど、私の外面はこの様に見えているのですね。

事実アスペルガー症候群の診断に出てくる質問に回答してみると、当てはまる部分が多くありましたが、結果はその可能性は低いとの診断でした。

おそらく次の状況が当てはまらないからだと思います。

『彼らが苦手なものは「他人の情緒を理解すること」「言葉やジェスチャーの裏に隠された意味を理解すること(非言語コミュニケーションを図ること)」である。』という部分です。

最終的には、
『特異性や特徴に該当する部分が多いことに気づいて不安感を持った本人が、医療機関に相談したときに、診断されたことを本人自身が受け入れた事例のみである。効果が示されたと広く支持される治療法はない。放っておくとうつ病強迫性障害といった二次障害になることがあるとの指摘もある』

これについてなるほどと思う事は、アスペルガー症候群は【医療機関に相談して診断された事を本人自身が受け入れた事例のみである。】という所です。


つまり、本人がその名前を受け入れるかどうかという事なんですね。誰だって自分に障害や病気があると診断されるのはショッキングな事です。

しかしながら、HSPの場合は私もHSPですと明かす人が相次ぎました。
その背景には、病気や障害ではないという説明が大前提になされているからではないでしょうか。
『繊細さん』とか『気がつき過ぎて疲れやすい人』とか、配慮された表現が多い為、受け入れやすく共感しやすいのかもしれません。

そして私はHSPですと言いたい理由としては、一個人の考えですが、これまでは変な人、扱いにくい人、神経質な人と酷評されていた性質を『繊細すぎて』と説明してくれているので、それ故に生じている行動だと周囲に理解してもらえるのではないか、という期待があるからだと思います。

例えば前から人が歩いて来たら、右によけるか左によけるか考えたり、あの人今日機嫌わるいなと感じたら1日中話しかけられなかったりします。
でも、そんな思考をついうっかり誰かに話そうものなら『面倒くさい奴だな~どうだっていいじゃん、気にしすぎ。人生疲れない?』とフルボッコにされます。
そんな私の『だって…。』の言い訳を正当化させる事が出来るのがHSPという言葉だったのです。
だって、人が通りすぎる時の風圧や、食べ物を噛む音、匂い、声のトーン、気配、その他の1つ1つにいちいち反応して配慮して大変なのに、毎日毎日そんなんばっかりなんだもん。


ただ、注意した方が良いのはHSPですと言うことを良く思わない人もいるという事です。

最近目にする事が増えてきたHSPに関する記事も、コメント欄を見ると否定的な意見が多いように感じます。
そもそもHSPと名前をつけることに意味がないとか、それを理由に甘えているとか、思うことは様々です。それはHSPに当てはまる人、当てはまらない人双方が感じているようです。

コメントの中にこんな言葉を見つけました。
『何も才能がなければただの普通の人より疲れやすい劣った個体だから、自分は特別だと思わず諦めて努力しなさい』と。

もしかしたら?もしかしたらですが、このコメントを書いた方はご自身をHSPだと認識している方なのではないか?と感じました。

なぜなら私自身HSPは誇らしいものではなく、苦しくて悔しくて、幾夜を越えても解決されない辛いものです。劣等感から自分を蔑んで、ダメ人間だと罵倒する事もあります。
だから『疲れやすくて劣った個体』という言葉が、自分自身を罵倒している時のそれに近い言葉だなと感じたのです。

メンタルくらい自分で鍛えろ。
また始まった。
雰囲気が悪くなる。
オーバーだよ。
面倒くさい。
細かすぎる。

逆に相手も、私の行動や思考からこの様なストレスを受けているという事になります。お互い様なのです。


HSPは他人の感情が心に入ってくるのが容易いです。言われなくても感じます。
鬼滅の刃の矢印鬼の攻撃みたいに色んな刺激が毎日心に突き刺さってきます。↖️↙️➡️
そうなんだ、で跳ね返せず長い時間停滞し蝕んできます。

自分が被害者だとは言っていません。ただ、私の人生なんなんだよと思う時はあります(°∀°)
私も生きていて、他人も生きていています。
その中で生まれるエネルギーのぶつかりあいで、疲れてしまうのです。

最近鬼滅の刃を見ていて思うのですが、作者の吾峠 呼世晴(ごとうげ こよはる)さんは漫画家さんでしょうが、心理学もお勉強された方なのでしょうか?
作中の名言や名場面が印象的ですが、全体のどこを切り取っても人の心理に訴えかける内容になっている事が気になります。
そして全体的な流れとして、ユングの心理学や魂の捉え方など例のあれに近い感覚を覚えました。


善逸のように耳がよく、生き物から出ている音を感じる取る能力も共感できるし、炭治郎のように鼻もきく。なんなら伊之助のように空間識覚のようなものだってある。
HSPを相当オーバーに言えばそんな感じです、それほど無意識に気を張って様々な事を感じて生きています。それを自慢と思う人や、嘘つきと思う人もいるでしょう。


生きているだけで、相手の矢印がバンバン入ってくる状況でどうやって過ごせと?野良猫の目にすら敵意を感じてすれ違うのが恐ろしいのに。
病院に行って安定剤もらうほどでもないけど、涙ばかり流れて心臓がズキズキ痛い。
誰かに相談すれば強くなれと言われる。

そんなこと全部分かってるよ、分かってるけどどうしようもないんだよ。
そうなってしまった時、人は極端な選択をしてしまうのかもしれません。また、鬼になる瞬間もそんな時かもしれません。
苦しみの果てに鬼になってしまったかつての人間を斬る炭治郎。
炭治郎が操る水の呼吸に伍の型【干天の慈雨】という技があります。斬られた者は、ほとんど痛みを感じることがない「水の呼吸」で唯一の慈悲の剣劇だそうです。
初めは違う型で斬ろうとしましたが、鬼の様子に気がついて途中で型を変えました。

こんな事ってありますか…。

最近特に弱みそで、いっその事と思ってしまっていた自分がいたのですが、そんな私が代わりに斬られたれたようで、ありがたくてしばらく涙がとまりませんでした。
鬼だけでなく人の心まで救うなんて、なんという作品なんでしょう…。
炭治郎は褒めてくれるし認めてくれる。助けてくれるし、叱ってくれる。
すごい子だよ炭治郎は。




HSPがなんだ。
その言葉も一理あります。


誰でもない自分を生かす為に、いつも心に干天の慈雨を。

干天の慈雨【日照り続きのときに降る、恵みの雨。待ち望んでいた物事の実現、困っているときにさしのべられる救いの手にたとえる。】